「渡瀬恒彦さん」と「渡哲也さん」の兄弟の絆【動画あり】

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芸能人

つい最近の8月09日に、渡瀬恒彦さんの「学生やくざ」と言う映画を視聴したばかりでした。

懐かし昭和の映画「学生やくざ」ノーカット版 1974年度作品 渡瀬恒彦 菅原文太
mojalaki
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近々、削除されるでしょうが載せときます

渡瀬恒彦さんの3歳年上で、実兄である「渡哲也さん」が、8月10日午後6時半に東京都内の病院で、肺炎で亡くなってしまいました。

78歳でした。

「渡瀬恒彦さん」は「渡哲也さん」の3歳違いの弟で、2017年に亡くなってます。

72歳でした。

公私ともに、強い絆で結ばれていたのです。

青学大時代は、早大に通う渡瀬さんと共同生活を送ってたのは有名ですね。

俳優としては、3度共演してます。

2011年TBSドラマの「帰郷」

2011年TBSドラマの「帰郷」で、医師兄弟を熱演してました。

撮影終了後の会見の事です。

「寂しさを感じている。またやってもいいかな」

渡瀬恒彦さん

渡瀬恒彦さんが、こう話をすると渡哲也さんはこう述べました。

「もう十分。遠慮します」

渡哲也さん

このように、息の合った掛け合いで皆を笑わせたのです。

1972年フジテレビ「忍法かげろう斬り」

1972年に渡哲也さんが主演したフジテレビ「忍法かげろう斬り」を肋膜炎で3カ月休養した時がありました。

その時は、渡瀬恒彦さんが代役をきっちり務めたのです。

渡瀬恒彦さんは、「故・大原麗子さん」との新婚旅行を延期し演じたのです。

1995年の阪神大震災

1995年には、阪神大震災が起きました。

その時は、2人そろって被災地・兵庫県で炊き出しする姿も見られたと言います。

「団長」大門刑事・昭和の美学を磨いた人生

故・渡哲也さんは、大都会・西部警察など数々のドラマ・映画で存在感を示した俳優です。

「渡哲也さん」はどんな人?

渡哲也さんは、礼節を重んじる人です。

そして、節度をわきまえた篤実な人柄で、相手が年下でも、あい渡哲也さんさつをするときは必ず立ち上がり、一礼するのが日常でした。

寡黙ながら人ですが、思いやる男気で敬愛してる石原裕次郎さんから預かった「石原軍団」を牽引し、「団長」大門刑事・昭和の美学を磨いた人生を送ってたのです。

渡哲也さん
  • 柔道初段で空手二段でもある

青学大在学中には空手道部に所属してます。
1965年の主演映画「青春の裁き」の乱闘シーンで、飛び蹴り・二段蹴り・正拳突きなどを披露してます。

  • バラエティー番組で名演技も!

石橋貴明との対決企画で敗北してます。
石橋貴明に「テツ」と肩を叩くと「なんで俺がお前にテツって呼ばれなくちゃいけねんだ」と激高したのです。
これはドッキリだったのです。
しかし、それが恐怖だった石橋貴明は、それ以降、渡哲也さんの顔を見ることができなくなったのです。

渡哲也さん
  • 趣味

趣味はたき火で、煙が一筋のぼるくらいの炎が好きで、その煙を眺めるのが好きとの情報もあります

  • 錦織圭とは遠縁の親戚です

渡哲也さんの祖母、錦織の曽祖父が兄弟です

「渡哲也さん」の実兄弟

渡哲也さんは、1941年12月28日生まれです。

4人兄弟の次男です。

上記でも少し触れましたが、3年前に他界した実弟である、渡瀬恒彦さんは三男です。

長男と四男は、幼い頃に亡くしてます。

なので、渡瀬恒彦さんとの兄弟の絆は深かったのです。

渡哲也さん芸能界入り

芸能界入りのきっかけを作ったのは、渡瀬恒彦さんでした。

日活が募集した「浅丘ルリ子」の主演映画「執炎」に、青学大空手部の仲間と一緒に、渡瀬恒彦さんが内緒で応募したのがきっかけです。

しかし、同作では不採用でした。

180㎝の長身で、空手で鍛えた引き締まった体と容姿に、日活は「10年に一度出るか出ないかの新人」とし、第2の石原裕次郎さんとして育てたのです。

渡哲也さんデビュー時

渡哲也さんのデビュー当時の事です。

失礼な態度を取った記者を殴って、気絶させた逸話を持ってますね。

渡瀬恒彦さんと並んで「芸能界最強」の異名を持ち合わせてます。

1971年

1971年、アクションスターとして、軌道に乗り始めた頃の事です。

大学の同窓生だった俊子さんと、8年間の交際を実らせ、結婚しました。

1972年には、長男が誕生してます。

2003年「西部警察」ロケで見物人負傷

こんな事故もありましたね。

2003年8月の事故です。

ドラマ「西部警察」のロケ中の事故で、見物人に車が突っ込み、5人が重軽傷を負ったのです。

土下座して渡哲也さんが謝罪も!

渡哲也さんが事態を重く見て、翌日に負傷者が入院する病院の病室を訪れました。

2013年の事故会見で頭を下げる渡哲也さん

渡哲也さんは、負傷者に土下座して謝罪したのです。

しかし、負傷者からは「放送続行」を求められました。

渡哲也さんは、ケジメとばかりに打ち切りを決定したのです。

「お客さまにケガを負わせて続けられない」

渡哲也さん

このような考えを貫き通して、「視聴者あっての石原プロ」という石原裕次郎さんの思いを守った。

不死鳥のような渡哲也さん

良い事ばかりではありません。

渡哲也さんは、病やけがに悩まされた事もありました。

しかし、そのたびに不死鳥のように甦ったのです。

禁煙
  • がん闘病をきっかけに、「禁煙」を始めてます。

サングラス姿の大門役で出演していた「西部警察」などで、たばこを吸っていたが、1991年に直腸がんを患ってから、以降は煙草を一切やめたのです。

1974年にはNHK大河ドラマ「勝海舟」の主演に抜擢されてます。

今回は胸膜炎で途中降板して、風邪をこじらせて急性肝機能不全を併発したのです。

そんな事で、約9カ月の長期入院を余儀なくされてしまいました。

また、大みそかにはNHK紅白歌合戦で「くちなしの花」を熱唱してましたね。

【石原良純】渡哲也さんとの最後の会話

石原良純が、渡哲也さんとの最後の会話を明かしています。

石原良純は、故石原裕次郎さんの甥です。

1982年に、俳優としてデビューしたのです。

当時、石原良純は石原プロに所属してました。

「良純!がんばっているな」

最後の渡哲也さん言葉

渡哲也さんと公私ともに親交があった石原良純は、最後に交わした言葉が2019年10月にテレビ出演した時、たまたま放送を見ていた渡哲也さんから出演後の電話での会話だったことを明かしてます。

渡哲也さん

石原良純は、この時を振り返ったのです。

「ずっと気にかけてくださって、なんかの時に電話してもらえるってものすごくうれしいじゃないですか。ものすごい感動で、そういう優しさですね」
「振り返ったときに怖いんですよ、だけど、優しい顔で見守ってくれていたのかな…なんか言いようがないんですね、言葉で」

振り返った時の石原良純

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