上越市柿崎区の米山で行方不明の子供が無事発見される

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密教

子供が行方不明になったと、新潟県警上越署に連絡が入ったのです。

山では、子供を一人にさせたらダメです。

mojalaki
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発見できて良かったですが、発見できなかった場合は悲しい結果になります

内容は8月10日の夕方、新潟県上越市柿崎区の標高992Mある米山から下山途中の上越市南城町の小学6年生の渡辺孝大君が行方不明になったのです。

日本三大薬師の一つの米山

新潟県警上越署と、消防署が8月11日朝から捜索してました。

新潟県警上越署によれば、渡辺孝大君の家族4人で登山し、父親と別れた後に行方不明になったのです。

渡辺孝大君
  • 身長142㎝の体重42㎏
  • 青の半袖Tシャツ
  • 黒色ジャージーズボン
  • 銀色のスニーカー

これが特徴でした

行方不明の小6男児を無事発見!

8/11(火) 7:00頃、新潟県上越市柿崎区の992Mある米山を、登山中に行方不明になっていた上越市南城町の小学6年の渡辺孝大君が8月11日早朝に、無事に発見されました。

mojalaki
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良かったですね

【米山】新潟県上越市柿崎区の米山とは?

米山・下牧登山口について

米山
米山

日本三大薬師の一つです
山開きの参加者には護符、豚汁のサービスがあります。

  • 名称:米山・下牧登山口(ヨネヤマ・シモマキトザングチ)
  • 標高:993m
  • 所在地:新潟県上越市柿崎区下牧
  • 登山レベル:中級者・2/A(スタート地点:下牧集落センター)
  • 山開き:2018年5月27日
  • 登山時期:5月~11月上旬
  • 所要時間:山頂まで約2時間
  • 山小屋:有り
  • 駐車場(普通車:30台)
  • お問い合わせ:025-536-6712
所在地新潟県上越市柿崎区下牧
交通アクセス・JR信越本線「柿崎駅」から車で25分
・北陸自動車道「柿崎IC」から車で20分

山開きの参加は事前に申込が必要なのです。
登山レベルは、新潟山のグレーディング一覧に掲載されている登山レベル(体力度/難易度)を載せています。

日本三百名山の米山

米山は標高993メートルの山です。

米山

柏崎市と、新潟県上越市柿崎区の境に位置します。

【越後富士】とも呼ばれてます。

それは秀麗な山で、山頂からは360度の眺望が楽しめるのです。

米山薬師堂は日本三大薬師の1つです

米山の山頂は日本三大薬師の1つ真言宗の「米山薬師堂」が建っていて、古くから山岳信仰の山として豊作などを祈願する人が登っていたのです。

米山薬師堂

上越市の行事

柿崎時代夏まつり

上越市の行事に「柿崎時代夏まつり」と言うものがあります。

それは、1年に一回介されるのです。

それは、上杉謙信公の四天王の一人である柿崎和泉守景家公を称えて開催される夏まつりの事です。

勇壮な山車とみこしパレード・武者演武・よさこいチームの競演など楽しい催しです。

そして、地域の住民による「手作りの屋台」が立ち並びます。

mojalaki
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祭りと言えば、「屋台」ですね

柿崎納涼花火大会

上越市柿崎の祭りに「柿崎納涼花火大会」と言うものがあります。

1年に1回夜にある花火大会です。

それは、柿崎中央海岸で打ち上げられる花火なのです。

花火は、約100組も上がります。

海に向かって打ち上げる海中・海空のスターマインは見事ですよ。

お引き上げ商工まつり

この「お引き上げ商工まつり」は、親鸞聖人の寺院が、冬に行われていたのです。

親鸞聖人の寺院

親鸞聖人の命日の法要を「報恩講」と言います。

「報恩講」を農作業が一段落する6月位にに繰り上げたことから「お引き上げ」と呼ばれるようになったのです。

お引き上げ商工まつり

「お引き上げ商工まつり」とは、約300年前から続く宗教行事です。

寺院に参拝に訪れる人のために、120位の露店が並ぶ上越市柿崎区の恒例行事なのです。

これは、寺院の境内や目抜き通りに並ぶのです。

お引き上げ商工まつり

親鸞聖人

親鸞聖人は、浄土真宗の開祖で浄土真宗本願寺派です。

親鸞聖人

親鸞聖人は、承安3年の1173年に京都で生まれました。

9歳に、比叡山で学ばれました。

以降20年間、比叡山で修学されたのですが、建仁元年の西暦1201年に29歳で師・法然聖人と出遇い、本願念仏の道に入られたのです。

法然聖人(法然房源空)

法然聖人は浄土宗の開祖です

法然聖人

押領使漆間時国の子として、美作久米南条稲岡庄(現在で言う岡山県久米郡久米南町里方)に生まれたのです。

法然聖人が9歳の時、父の不慮の死によって、菩提寺観覚のもとへ入寺しました。

15歳で比叡山に登って、源光ついで皇円に師事して天台教学を学んだのです。

しかし隠遁の志あつくて、18歳になった時に黒谷の叡空の室に入り法然房源空と名のられたのです。

元久元年の1204年に興福寺の奏状により、念仏停止の越後流罪を経て、関東で「教行信証」の執筆を始めたのです。

煩悩に満ちた私たちは、阿弥陀如来のみ教えを仰ぐことこそ、苦しみの世を生き抜く道である

親鸞聖人

と、このように90年の生涯をかけて、お示しくださり、弘長2年の1263年にご往生されたのです。

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